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プロレスラー三沢光晴が死亡・・・(T_T)
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2009年06月14日(日) 01:39 |
■■三沢光晴さん死亡 試合中倒れる■■ 広島
6月13日22時1分 毎日新聞
13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。
■プロレスリング・ノア「Southern Navig.’09」
6月13日(土) 広島グリーンアリーナ
<第8試合 GHCタッグ選手権>
[王者組]バイソン・スミス、○齋藤彰俊
(27分03秒 レフェリーストップ)
[挑戦者組]●三沢光晴、潮崎 豪
※バイソン&齋藤組が3度目の防衛に成功
大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。齋藤彰俊のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。医師だという観客の男性が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。
三沢さんは栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名で活動。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。00年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。
試合会場では、観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて」と涙を流しながら語った。広島市安佐南区の男子大学生(20)は「バックドロップで頭を打って意識不明になった。救急隊が長い間、心臓マッサージをしていた。三沢さんは試合中、頭を振る仕草を見せ、調子が悪そうだった」と話した。【加藤小夜、星大樹】

なぜだ・・・。
なぜ、王道プロレスの流れをくむ男たちが
こんなに早く死んでしまうんだ(T_T)
馬場さん
鶴田さん
まさか、三沢までが・・・。
受身を身上とする王道プロレスゆえの、身体へのダメージ蓄積なのか。
激闘プロレスを見せていた唯一のプロレス団体のトップが
このようなカタチで亡くなるのは非常に残念だ。
現在のマット界は
真剣勝負、つまり、より競技性の高い格闘は総合格闘技に
プロレスはよりショー的要素をふくらませたモノへと
2極化が進んでいたが
プロレスリング・ノアはそんな中、ショー的よりは、格闘競技よりのプロレスだった。
三沢光晴が亡くなった事は、ただの事故じゃなく
かつてないプロレス存亡の危機になりかねない大事件になりそうだ。
プロレス技で人が死んだというフィルターを通して見れば
1990年代から始まった四天王プロレスは、人が死んでも不思議の無い試合ばかりだった。
ジャイアント馬場さんが第一線を退いて解説席に座る事が多くなった頃
「シュートを超えたものがプロレス」と言い
三沢、川田、小橋、田上らの熾烈極まる過激な試合に涙を流して解説していた事があった。
このまま続ければ、今日のような日が来る事が判っていたのかもしれない。
どんどんと過激にエスカレートしてきたプロレスは後戻りができないところまで来てしまったようだ。
プロレスリング・ノアは今日も福岡で試合が行われる。
6月13日22時1分 毎日新聞
13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。
■プロレスリング・ノア「Southern Navig.’09」
6月13日(土) 広島グリーンアリーナ
<第8試合 GHCタッグ選手権>
[王者組]バイソン・スミス、○齋藤彰俊
(27分03秒 レフェリーストップ)
[挑戦者組]●三沢光晴、潮崎 豪
※バイソン&齋藤組が3度目の防衛に成功
大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。齋藤彰俊のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。医師だという観客の男性が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。
三沢さんは栃木・足利工大付高でレスリング部に所属し、81年に全日本プロレスへ入門。84年にマスクマンのタイガーマスク(2代目)となり、人気を博した。90年からはマスクを脱ぎ、本名で活動。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田両選手(ともに故人)に次ぐエースとして活躍した。00年に全日本を退団してプロレスリング・ノアを設立し、社長を兼務。受け身のうまさには定評のあるレスラーだった。
試合会場では、観客の看護師、竹本麻紀さん(31)=東広島市=は「子どものころからプロレスが好きでよく見に来ていた。まさかこんなことになるなんて」と涙を流しながら語った。広島市安佐南区の男子大学生(20)は「バックドロップで頭を打って意識不明になった。救急隊が長い間、心臓マッサージをしていた。三沢さんは試合中、頭を振る仕草を見せ、調子が悪そうだった」と話した。【加藤小夜、星大樹】

なぜだ・・・。
なぜ、王道プロレスの流れをくむ男たちが
こんなに早く死んでしまうんだ(T_T)
馬場さん
鶴田さん
まさか、三沢までが・・・。
受身を身上とする王道プロレスゆえの、身体へのダメージ蓄積なのか。
激闘プロレスを見せていた唯一のプロレス団体のトップが
このようなカタチで亡くなるのは非常に残念だ。
現在のマット界は
真剣勝負、つまり、より競技性の高い格闘は総合格闘技に
プロレスはよりショー的要素をふくらませたモノへと
2極化が進んでいたが
プロレスリング・ノアはそんな中、ショー的よりは、格闘競技よりのプロレスだった。
三沢光晴が亡くなった事は、ただの事故じゃなく
かつてないプロレス存亡の危機になりかねない大事件になりそうだ。
プロレス技で人が死んだというフィルターを通して見れば
1990年代から始まった四天王プロレスは、人が死んでも不思議の無い試合ばかりだった。
ジャイアント馬場さんが第一線を退いて解説席に座る事が多くなった頃
「シュートを超えたものがプロレス」と言い
三沢、川田、小橋、田上らの熾烈極まる過激な試合に涙を流して解説していた事があった。
このまま続ければ、今日のような日が来る事が判っていたのかもしれない。
どんどんと過激にエスカレートしてきたプロレスは後戻りができないところまで来てしまったようだ。
プロレスリング・ノアは今日も福岡で試合が行われる。







